三億年の旅に出かけるよ [旅行]
秋芳洞に到着です。
残念なのは。。。
ツアーなので
早送り?早回し?
1キロの逆周りバージョンだったことです。
実際は10キロ見て回れるんだって。
ですからこれは普通なら出口になるわけです。
「ふうううう〜〜、暑かったぁ〜」
と出てくる人たちがいました。
洞内はいつでも17度。
冬服で10キロ歩くとそんな感想なのかな?
秋吉台のカルスト [旅行]
バスに乗車し、
念願の、悲願の
秋芳洞にいよいよ向かいます。
車窓から見えたのは秋吉台のカルスト。
「これだ。。。。」
この風景が見たかったんだな、
私ってば。。
心象風景っていうのであろうか??
ここだったんだな。。
これもそうだったんだな。
と認識できて
この旅の目的の大半が解明された気がしました。
画像では伝わらないのは自分が一番わかってますけど。。
なんか禿山にみえると思いますが
あげます。
深くて広い。
雄大。
山焼きをするそうなんです。
その直後でしたので
カルスト台地の醍醐味を5割り増しぐらいで味わえたかも。
太古の昔、ここ深海だったんだね。
カルストは珊瑚だったって。。
うんうん。
ここに来たかったんだね。
私。
おみやげを開けたよ。 [旅行]
秋吉台の秋芳洞(アキヨシドウ) [旅行]
似て非なるこの名称につきまして。
聞いたばかりなので知ったかぶりをして書いてみます。
( ̄Д ̄)ノ
むかーし、昔。
昭和天皇が皇太子だった頃のことであります。
ということは大正時代ですね。
この地、秋吉台を訪れ、鍾乳洞も探検されたそうです。
観光化されてるわけでもなく
まさに重装備で鍾乳洞探検に臨まれたそうです。
陛下が帰られるとき御付きの方を通して手紙を村の人々に残されたそうです。
「この鍾乳洞を秋芳洞と名付けたい」
みたいな意味の。
ところが当時、村の人々で【芳】を【ヨシ】と読める人がいなかったそうです。
【ホウ】と読むことしかできなかった
村人は
【シュウホウドウ】
と呼ぶようになりました。
教科書などにも振り仮名は長い間
【シュウホウドウ】
とされていたそうなのです。
時代は昭和になり何年頃かはわかりませんが。(すみません)
ある日宮内庁から連絡がきたそうです。
「あの時、陛下は【アキヨシドウ】と名付けられたのですよ」
と。
ですから今でも年配の方々は【シュウホウドウ】と呼ぶかたもいるし、どちらもありで、間違いではない、とのことでした。
実は私は秋芳洞に訪れるために来たんですわ。(^O^)
で、ご無礼にあたりましたらごめんなさい。
この話を聞いて思い出したのは。
静岡県の名産品
【安倍川餅】
の逸話じゃよ。。。
家康公にこのお餅を献上したおりに
【ういやつじゃっ!安倍川餅と名付けよ( ̄Д ̄)ノ】
で、安倍川餅になったというお話。
安倍川餅のチラシに書いてあったんですが
幼い頃ウケてウケて。。
その説明書き、大事にしてましたわ。
ワシが偉い人だっら何の名前つけるかなぁー( ´ ▽ ` )ノ
ういやつぅーヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
萩城下町・おみやげ編 [旅行]
時間が限られておりましたゆえ。。
結局戻るところにありましたところで
数点買いましたよん。
ビックリしたのは
こちらのスーパーで度々買ってる
ワカメのふりかけ。
主におにぎりを作るときにご飯に混ぜるのですけど。。
ここ、萩の名産品だったんですね??
しかも夏ミカンバージョンっ!
楽しみだわー。
夏ミカンドロップス。
お醤油。
。。。
で。こちらの缶詰が
夏ミカンマーマレードなんじゃぁ*\(^o^)/*
お昼を食べたところでも迷ったんです。
だって缶詰だよ?
重いでしょ?
でも買った。夏ミカン大好きだし。
ここで買わなきゃダメじゃろ。。
まだどれも味を見ていません。
楽しみ( ´ ▽ ` )ノ
萩城下町・その8 菊屋家のお雛様 [旅行]
萩城下町・その7 菊屋家内部 [旅行]
萩城下町・その6 菊屋家内部 [旅行]
大広間のところの天井の照明器具です
家屋自体も天井まで光が入るようになってるのですね。
これも撮っていないのですが
書院造りでした。
こちらは湯殿です。
脱衣所の優雅なこと、湯殿なこと。。
畳なのね。
湿気対策はどうしていたのか
きになりますね。
こちらがお風呂。
湯船はないです。
ツボみたい?
洗ったら流すだけ?
つからなかったのかな??
むーーー。、